▶シニアのためのスマホ超入門講座「第3話 コンピュータが丸ビルから手のひらの大きさになるまで」

最初のスマホが出てきたのが、2007年ですが、2019年の総務省の情報通信白書の情報通信機器の保有率を見ますと、2010年には、パソコンが83.4%、スマホが9.7%でした。その後、スマホは年々保有率が増えて、2017年には、パソコンが72.5%、スマホが75.1%と逆転しました。2018年には、パソコンが74%、スマホが79.2%とさらに差が広がっています。タブレット端末も2010年には7.2%でしたが、2018年には40.1%と急速にシェアを伸ばしています。情報端末の主流は、パソコンからスマホ、タブレット端末に変わってきたといえると思います。
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd232110.html

初めに、スマホが出てくるまでのコンピュータの歴史を簡単に振り返っておきたいと思います。1637年に、デカルトが「我思う、故に我あり」の一節で有名な方法序説を書きました。この本には、哲学するためのいろいろな考え方が書いてあるのですが、複雑な問題を解く時には分解して簡単なものに分けると解きやすい、ということが書いてあります。デカルトの影響を受けたライプニッツが易経の研究から数十年後に2進数を考え出しました。

2進数には、有る(1)、無し(0)の2種類しかありません。これ以上簡単な数字はありません。ライプニッツは、2進数に出会ってオンとオフのスイッチができれば計算ができるとひらめいたんでしょうね。この発想がコンピュータの始まりです。ライプニッツは、機械式の計算機を自作していたそうです。最初のスイッチには、歯車が使われていました。次にリレー、それから真空管、トランジスタ、集積回路と進化していくのです。

1940年代に、丸ビルくらいの大きさのコンピュータが軍需用に開発されたお話をしました。電子的に動く本格的なコンピュータを考えたのは、ハンガリー出身でアメリカに渡ったノイマンという数学者でした。ノイマンは、日本に原爆を落としたマンハッタン計画にも深く関わっていた人ですので、私は好きではありませんが、今のパソコンやスマホの原理を考えたのはノイマンなんです。今のコンピュータはノイマン型と呼ばれています。丸ビルの大きさのコンピュータと手のひらに乗るスマホが同じ原理で動いているということは信じがたいことです。

ノイマンが考えたコンピュータは、プログラムと言いますがコンピュータを動かす仕組みを書いておいてそれに沿ってコンピュータが動くという単純なものです。モーターで自動で動く西陣織の力織機がありますが、文様の穴が空いたカードをセットしておくと自動的に同じ模様の西陣織の布が織り上がります。原理はこれと同じです。

先ほども触れましたが、コンピュータは、最初は歯車が使われていました。パスカルの機械式計算機が有名です。しばらくして電磁石で動くリレーが使われました。リレーは接点が錆びたりして故障が多かったそうです。次に使われたのが真空管です。昔のテレビには大きくて重いブラウン管というものが使われていましたが原理は同じです。真空管を何万個も使って作り上げたコンピュータがエニアックです。

真空管は、フィラメントがある電球ですから、昔の白熱電球が良く切れたように頻繁に故障しました。保守員は休んでいる暇がありませんでした。また、夜でも煌々と光を放っていますから、光に誘われて蛾がよってきて、それが原因で回路がショートして良く故障したそうです。そのため、コンピュータの不具合は、今でもバグ(小さな昆虫)と呼ばれています。

真空管は信頼性がなくて使い物にならないというので、次に使われた素子がトランジスタでした。トランジスタの原料は地球上には無尽蔵にある花崗岩などに含まれているシリコンなんです。サンフランシスコの近くにシリコンバレーというコンピュータの聖地がありますが、元々は、岩だらけの作物ができない不毛な地だったそうですが、トランジスタが発明されたことで一躍有名になった場所なんです。

トランジスタは、何でも小さくしました。子どもの頃に、ソニーの携帯型のトランジスタラジオを買ってもらって聴いていた人も多かったのではないかと思います。トランジスタは、元々は石ですから頑丈なんです。真空管のようにフィラメントが切れることも、光で蛾が集まってくることもありません。

トランジスタの利点は、シリコンの板に設計図を焼き付けて回路を作ることができるということです。印刷物と同じで版を作っておけば、それをコピーすれば大量生産が出来ます。また、集積度を倍々に拡張することが出来ましたので、性能や容量を指数関数的に向上させることができました。これは集積回路とかIC(integrated circuit)と呼ばれていました。集積回路の性能が指数関数的に向上するというのは、ムーアの法則と呼ばれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ムーアの法則

コンピュータの機能を一つの石の塊の中に作り込む技術が開発されたことがコンピュータのブレークスルーになりました。この技術で開発されたものがCPU(central processing unit )です。インテルが最初に開発したCPUの4004には、2,300個のトランジスタが5センチ足らずの石の塊に封じ込まれていました。丸ビルの大きさのコンピュータであるエニアックには約18,000個の真空管が使われていたと言われていますので、この4004を8個使えば27トンもあるコンピュータを置き換えることができたということです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Intel_4004

この4004は、日本のビジコン社という会社が、電卓用のチップを開発するためにインテルと共同で作ったものであることはあまり知られていません。CPUの開発の初期には日本人が大きく関わっていたのです。このCPUを包み込む陶器の容器を作ったのが日本の陶磁器の技術を持っていた京セラ(株)です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/京セラ

トランジスタの集積度は、ムーアの法則に従ってどんどん集積化が進み、最新のCPUでは、1,000,000,000(10億)個にまで増えています。このCPUが出来てから、コンピュータは急速に小型化、高性能化していきました。

タンスくらいの大きさだったメインフレームと呼ばれていた大型計算機は、机の横に置かれるミニコン(ミニコンピュータ)やオフコン(オフィスコンピュータ)になり、机の上に置かれるデスクトップコンピュータとなり、膝の上に置いて使うラップトップコンピュータを経て、ノートPCとなりました。そこから余分なものを取り除き、今の手のひらに乗るスマホタブレット端末になりました。これ以上小さくなると指で操作できなくなりますので、将来は、脳波で司令を出すコンピュータが出てくるかもしれませんね。

【シニアのためのスマホ超入門講座】
第1話 ネット社会はどのようにして出来たか
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/08/07/no1/
第2話 インターネットの始まりはきな臭い
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/08/09/no2/
第3話 コンピュータが丸ビルから手のひらの大きさになるまで
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/08/16/no3/
第4話 スマホはひとりの若者の夢想から始まった
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/08/30/no4/
第5話 スマホとパソコンはどう違うの?
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/09/05/no5/
第6話 スマホやパソコンの使い方の極意
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/09/08/no6/
第7話 スマホにも戸締まりが必要だ
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/09/12/no7/
第8話 スマホはこんなに便利
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/10/10/no8/
第9話 Facebookのススメ
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/12/26/facebook/
第10話 サイバーセキュリティのお話
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2021/03/20/taisaku/
第11話 パソコンやインターネットを生み出したカウンターカルチャー
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第12話 ビデオ会議システム「Zoom」のお話
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2021/07/08/zoom/

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  1. 今回はハードの発達の歴史が良くわかりました。特に興味深かったのは
    次の3点ですが その他 参考資料ののURLも親切でした。
    ①コンピュータの不具合は、今でもバグ(小さな昆虫)。
    ②トランジスタの原料は花崗岩のシリコンからシリコンバレー。
    ③インテルCPUの4004は日本のビジコン社という会社が、電卓用のチップを
     開発するためにインテルと共同で作った。このCPUを包み込む陶器の
     容器を作ったのが日本の陶磁器の技術を持っていた京セラ(株)。
    今後のご活躍を!!

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