・大道の歴史
▶子どものころに夢中になったホンチ遊び

私は、昭和22年寺前東町(寺前2丁目)で生まれ、子ども時代を過ごしました。私の小さい頃は、乙とも海岸と呼ばれた小柴から平潟湾口まで、松林がきれいな自然の海岸線が残っていて海水浴のメッカでした。(金沢区寺前出身 関東雄) […]

続きを読む
・大道の歴史
▶三分学校と大道の思い出

私の家は、宝樹院という真言宗のお寺の石段を降りたところにあります。そんな関係で「てらのした(寺の下)」という屋号で呼ばれています。大道では昔から、「わきのやと(脇の谷戸)」とか、「みょうど(明堂)」などの屋号で呼び合って […]

続きを読む
・エッセイ
▶二宮金次郎像と日本ブラジル友好の木

六浦駅の近くの六浦白梅公園では、春になると黄色い珍しいイペの木の花が咲きます。このあまり聞き慣れないイペの木にまつわるお話をご紹介します。(廣瀬) この六浦白梅公園には、白梅保育園がありました。大道でも、この保育園に通っ […]

続きを読む
・大道の歴史
▶侍従川にはホタルがいっぱい

私が子ども時代を過ごした今から50年以上も前の大道は、山に囲まれ、侍従川が流れ、海も近くにあって、子どもたちの遊ぶところがたくさんありました。今の大道小学校が建っているところは、昔は田んぼでカエルがたくさん棲んでいました […]

続きを読む
・大道の歴史
▶昔の大道の風景と道普請

私は、太平洋戦争の真っ最中の昭和19年(1944)に、大道に生まれました。物心がつく前に戦争が終わっていましたので戦争の記憶はありません。ただ、戦後の荒廃した大道のことは、今でもはっきりと覚えています。(高宗台町内会 廣 […]

続きを読む
・大道の歴史
▶侍従川流域にあった桃の果樹園

私が子どもだった頃の思い出を綴ってみたいと思います。(大道町内会 鈴木 巽) お墓の掃除をするために、小高い山の上にある菩提寺の大道の宝樹院の裏山に登ることがあります。山の傾斜地にある墓地の最上段に立って前方を眺めると、 […]

続きを読む
・大道の名所スポット
▶大道の歴史と昔の生活

大道の歴史については、公の文献・資料など残っているものが少ないため、地元の長老からの言い伝えや、大正に生まれ、子ども時代は大道の野山が遊び場であった父の廣瀬一雄が残したメモなどを参考に、主として昭和初期の大道の様子を纏め […]

続きを読む
・大道の歴史
▶侍従川の名前の由来と照手姫物語

今から六百年以上も前の室町時代のお話です。その頃、足利持氏という関東管領が鎌倉に住んでいました。関東管領というのは都に住んでいる将軍さまの代わりに、関東地方を治めるという大切な役目をする人のことです。将軍さまには子どもが […]

続きを読む