▶大道の歴史年表 

緑豊かな里山と侍従川、広い肥沃な耕地を持っていた大道には800年も前から人が住んでいたことが分かります。鎌倉幕府開府、明治維新、震災、戦災を超えて、時代が変わっても人々の営みは変わらずにずっと続いています。

1147(文久3)年 常福寺(称名寺末寺)の阿弥陀堂が作られた。
1185(文治2)年 源頼朝が瀬戸明神を建てた。
1241(仁治2)年 朝比奈の切り通しが切り開かれた。この頃、鼻欠地蔵が作られた。
1269(文永6)年 三匹の象を乗せた唐船三艘が三艘港に着いた。(三艘の地名の由来)
1361(康安元)年 釜利谷の小泉の谷戸にあった聚楽山・長生寺が六浦に移った。
1422(応永29)年 称名寺の造営費用捻出のため常福寺の門前(エールハウスが建っている場所)に関所が設けられた。商人は二文、馬車、荷車は三文徴収された。(一文は今の二十三円)
1703(享保20)年 高栄山高照寺・宝樹院が三艘から大道に移った。
1795(寛政7)年 高宗の谷戸入り口に、お庚申様が作られた。
1871(明治4)年 廃藩置県で六浦藩が六浦県になった。
1873(明治6)年 三分学舎(六浦小学校の前身)ができた。
1889(明治22)年 三分村と釜利谷村が合併して六浦荘村が出来た。
1897(明治30)年 峠村が六浦荘村に入った。
1900(明治33)年 六浦ー逗子間に池子トンネルが作られた。
1909(明治42)年 山王様が瀬戸神社に合祀された。
1910(明治43)年 金沢、六浦の塩田が廃止された。
1911(明治44)年 六浦ー釜利谷間に白山道隧道が作られた。
1920(大正9)年 初めての国勢調査が行われた。(六浦荘村 4219人、金沢村 5232人)
1923(大正12)年 関東大震災で多くの被害を出した。
1930(昭和5)年 湘南電気鉄道(後の京浜急行)の黄金町ー浦賀間、金沢八景ー逗子間が開通した。
1941(昭和16)年 軍事拡張のために室の木から移住された方のために西大道住宅が建った。
1941(昭和16)年 戦地から引き揚げて来られた方のために県営住宅が建った。
1944(昭和19)年 相武隧道が開通した。
1944(昭和19)年 六浦原宿線が開通した。
1944(昭和19)年 大道小学校が開校した。
1947(昭和22)年 六浦中学校が開校した。
1956(昭和31)年 京浜急行・六浦駅が出来た。
1956(昭和31)年 朝比奈ー鎌倉間の道路が開通した。
1963(昭和38)年 大道中学校が開校した。
1966(昭和41)年 日通団地が造成された。
1972(昭和47)年 三信団地が造成された。
1978(昭和53)年 高舟小学校が開校した。
1983(昭和58)年 六浦三丁目住宅が造成された。
1983(昭和58)年 大道集会所、屋台小屋、ポンプ小屋が新築された。
1983(昭和58)年 山王様石段が修理された。
1992(平成4)年 宝樹院阿弥陀三尊像が神奈川県の重要文化財に指定された。

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