▶「鐘がつなぐ、戦争と平和の記憶」~300キロを越えて“里帰り”した一つの鐘の物語~
2025年8月1日
太平洋戦争も末期に差しかかったころ、日本国内では大砲や戦艦を造るため、ありとあらゆる金属が必要とされていました。そのため、政府はお寺のつり鐘や、日本刀などの貴重な品を「供出」という形で国に接収していきました。 福島県石城 […]
▶音楽劇「明日への願い・決して忘れてはいけないこと~横浜・富岡空襲の記憶を未来に~」のご紹介(9月7日)
2025年6月25日
今から80年前、富岡駅の近くのトンネルがB29による空襲を受け、40人以上の尊い命が失われました。決して忘れてはならない出来事です。下記の通り、富岡空襲を題材にした音楽劇のご案内をいたします。 ■ 音楽劇:舞台芸術サーク […]
▶宝樹院の太平洋戦争の慰霊碑
2022年3月24日
宝樹院の阿弥陀堂の右の石段を登ったところに1994(平成6)年に建立された太平洋戦争の戦没者の慰霊碑があります。鈴木さんの文章を読み直してお参りをしてきました。(廣瀬)【子どもの頃の忘れ難い思い出】https://dai […]
▶子どもの頃の忘れ難い思い出
2022年3月24日
65年前の忘れ難い思い出(2010年 4月12日 大道町内会 鈴木 巽) 私の子どもの頃の忘れ難い思い出として、昭和10年代のことがあります。昭和12年に中国と日中戦争が始まり、それが拡大して16年には太平洋戦争に突入し […]
▶敬老の日「大道町内会 長老対談」
2021年9月20日
敬老の日に、長老の鈴木さん、長嶋さんにお話をお伺いしましたので掲載いたします。(総務部 廣瀬) ■ 日時:2021年 9月20日 11時〜11時30分■ 場所:大道集会所の玄関前■ お話・鈴木(S)巽さん(1929(昭和 […]
▶三分学校と大道の思い出
2020年7月12日
私の家は、宝樹院という真言宗のお寺の石段を降りたところにあります。そんな関係で「てらのした(寺の下)」という屋号で呼ばれています。大道では昔から、「わきのやと(脇の谷戸)」とか、「みょうど(明堂)」などの屋号で呼び合って […]