▶敬老の日「大道町内会 長老対談」

敬老の日に、長老の鈴木さん、長嶋さんにお話をお伺いしましたので掲載いたします。(総務部 廣瀬)

■ 日時:2021年 9月20日 11時〜11時30分
■ 場所:大道集会所の玄関前
■ お話
・鈴木(S)巽さん(1929(昭和4)年 1月1日生まれ 92歳)
・長嶋(N)武さん(1928(昭和3)年 3月14日生まれ 93歳)
■ 聞き手(廣瀬(H))

H:本日は、大道町内会の敬老会に参加していただきありがとうございました。ひと休みしていただいている間に大道を代表する長老のお二人にお話をお聞きしたいと思います。少しお時間をいただきたいと思います。

◆ ◆ ◆ 鈴木さん
何年か前にも書いていただいたことがありますが、鈴木さんの家では桃を作っていたということですが、そのお話をお聞きしたいと思います。
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/06/13/kajyuen/
S:私の家では、小さい頃から桃を作っていました。今、県営住宅が建っているところから私の家のあたりまで、侍従川の川沿いにずっと桃の木が植えてありました。

H:桃の木は何本くらいあったのでしょうか?
S:300本を超えていたのではないでしょうか。侍従川の向こう側の「みょうど」や「わきのやと」の方にも少しありました。

H:どこに出荷していたのですか?
S:当時は、洲崎、逗子、追浜、船越、田浦のあたりに市場がありました。そこに出荷していました。今のように自動車などの便利なものがありませんでしたので、リヤカー2台で運びました。自転車も使えたのですが、ガタガタやると桃に傷がついて商品価値が落ちてしまいますので、リヤカーでゆっくりと運びました。

H:大変でしたね。
S:逗子に行くのには、坂を登って隧道を超えていきますので苦労しました。私は小学生でしたので父親が引くリヤカーの後ろを押していました。収穫の時は、大道町内の女性たちが総出で手伝ってくれました。出荷するには、箱に入れる必要がありますので、板を買ってきて木箱を自分たちで作っていました。一つの箱に12個の桃が入るくらいのものでした。今は、ダンボールの箱がありますから便利ですね。

H:いつ頃まで桃を作っていたのですか?
S:戦後、大道の田んぼを埋め立てて、戦地から引き上げてくる人のために寮が作られました。その時に、強制的に桃の木も切られてしまいました。

H:残念でしたね。ところで、今は、どのように過ごされていますか?
S:週に2回デイサービスで老人ホームの方に行っています。百人一首などをみんなとやって楽しんでいます。デイサービスに行っていない時は、できるだけ歩くようにしています。

生年月日についてお話しておきたいのですが、戸籍上は昭和4年1月1日の生まれとなっていますが、本当は昭和3年の12月の押し詰まった時に生まれたようです。1月の方が縁起が良いという理由で、1月1日に役所に届け出たそうです。当時は、こういう、のんびりしたところがあったのですね。

◆ ◆ ◆ 長嶋さん
H:長嶋さんは、素晴らしい写真を撮られているんですね。
N:若い頃からカメラを持って、景色などを撮っていました。今は、さすがに、どこにでも行くという訳にはいきませんが、60歳を過ぎるまで、重い望遠レンズ付きの一眼レフのカメラを持って日本中、どこにでも行っていました。

H:写真家だったのですか?
N:いやいや、趣味でやっていました。戦中は、工場で旋盤を扱ったりする技術者でした。戦後は、フォードのジープなどを運転していたこともありました。

H:大道町内会のホームページにも掲載させていただいていますが、この流鏑馬の写真はみごとですね。
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/10/24/photo/
N:写真クラブの会長をやっていた頃に撮った写真で、審査員特別賞をいただきました。動いている馬をこのように静止しているように撮るのは技術的に難しいです。

H:戦争を経験されているそうですね。
N:16歳から17歳まで少年兵として浜松の鷲津というところに行っていました。それまでは、追浜海軍航空隊にいました。ここは飛行機のエンジンなどを作っていました。中島飛行機で作ってた爆撃機「飛竜」のエンジンなども研究していました。

H:うちの祖父は、田浦の横須賀海軍工廠に行っていました。人間魚雷「回天」などに関わっていたようです。戦争も終わりの頃ですね。
N:若かったですが、この戦争は負けるということは分かっていました。ほとんどの人は、そう思っていたのですが言い出せませんでしたね。潜水艦で攻め込まれて目の前で50人もの戦死者がでたということもありました。一歩間違えれば私も危なかったのです。戦争は、本当に悲惨なものです。

H:当時はどんなものを食べていたのですか?
N:肉は食べられませんでしたので、油かすをドーナッツのように固めたものをおかずに食べていました。今は、おいしいものがたくさんありますね。

H:健康の秘訣は何だと思いますか?
N:足が丈夫なことだと思います。今でも、できるだけ歩くようにしています。家に閉じこもっているのでなく、できるだけ外出するようにしています。丈夫な体や足を授けてくれた母親に感謝しています。

H:夜は、良く眠れますか?
N:毎日、11時には布団に入って、朝の7時に起きます。ぐっすり眠れます。一人住まいなので、掃除、洗濯、炊事など自分で何でもやっていますから、良く寝ないと体が持ちません。

H:8時間、ちゃんと眠れるというのは健康の証拠ですね。
N:食事も美味しいですし、お通じも毎日あります。

H:鈴木さん、長嶋さん、本日は、ありがとうございました。これからも、お元気で、色々なお話をお聞かせください。(2021年 9月20日 11時30分終了)

▶敬老の日「大道町内会 長老対談」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 松本 より:

    お二人ともお元気で敬老の日を迎えられ、おめでとうございます。懐かしいお話もうかがうことができ、楽しく拝見しました。他の町内の皆様も、これからもお元気でお過ごしください。

    1. 廣瀬 より:

      お元気な方は、健康管理をしっかりされていますね。快眠、快食、快通じ、身の回りのことは自分でやる、趣味を持つ、歩くこと、が長寿の秘訣のようですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です