・ニュース
▶お茶を飲みながら六浦の歴史に親しむ ~六浦の地形の変化と歴史、三分小学校の成り立ち~

お茶を飲みながら六浦の歴史に親しむ ~六浦の地形の変化と歴史、三分小学校の成り立ち~ ■講師:・長島輝信さん(地元旧家のご出身、郷土史にお詳しい)・飯塚玲子さん(郷土史研究家、飯塚茶店、お茶の淹れ方にもお詳しい)■日時: […]

続きを読む
・ニュース
▶大道歴史文化保存プロジェクト発足

2023(令和5)年の六浦小学校の開校150周年を契機として、地域の歴史研究者、自治体、大学等と連携を取りながら、大道の歴史的な遺物や古文書などを再発掘、整理を行って後世に残し、地域の活性化につなげる取り組みを行っていき […]

続きを読む
・大道の歴史
▶瀬戸神社の力石と力持ち

瀬戸神社のかやの木の根本に、直径40センチ、長さ1メートルくらいの大きな石が飾ってあります。その石は、室の木の長谷川福太郎という人が琵琶島弁天から運んできたものであるという言い伝えを、親戚の古老から聞いていました。長い間 […]

続きを読む
・大道の歴史
▶富岡から侍従川を舟で嫁入りした祖母

私は、大正12年に侍従川の近くで生まれました。家は、侍従橋より50メートルほど川下の侍従川に面したところです。以前、白梅保育園をやっていましたので、そちらをご存知の方が多いかと思います。私が小学生の頃は、白梅公園を取り巻 […]

続きを読む
・大道の歴史
▶雑木林は山菜や美味しい木の実の宝庫

私は昭和19年に生まれ、昭和20年ころから40年以上、侍従川の近くの西大道で生活していました。20年くらい前に引っ越して、現在は六浦に住んでいます。これから、私の子どもの頃の思い出を書きたいと思います。(川町内会 源波 […]

続きを読む
・大道の歴史
▶ベーゴマ、メンコ、子どもたちのパラダイス

私は昭和16年に横須賀の船越で生まれました。国が防空壕を掘るというので家が立ち退きに遭い、父親が海軍工廠(かいぐんこうしょう)に勤めていた関係で3歳の頃ここに引っ越してきました。車のない時代でしたから、船越から乳母車に乗 […]

続きを読む
・大道の歴史
▶侍従川が私の原点

今はすっかり変わってしまいましたが、大道の県営住宅に移り住んだのは昭和二十六年で私が3歳の時でした。30軒の新しい住宅には、私たちのような団塊の世代の子どもが沢山いて、一日中にぎやかに遊び回っていました。小学生になると、 […]

続きを読む
・大道の歴史
▶子どものころに夢中になったホンチ遊び

私は、昭和22年寺前東町(寺前2丁目)で生まれ、子ども時代を過ごしました。私の小さい頃は、乙とも海岸と呼ばれた小柴から平潟湾口まで、松林がきれいな自然の海岸線が残っていて海水浴のメッカでした。(金沢区寺前出身 関東雄) […]

続きを読む
・大道の歴史
▶三分学校と大道の思い出

私の家は、宝樹院という真言宗のお寺の石段を降りたところにあります。そんな関係で「てらのした(寺の下)」という屋号で呼ばれています。大道では昔から、「わきのやと(脇の谷戸)」とか、「みょうど(明堂)」などの屋号で呼び合って […]

続きを読む
・大道の歴史
▶昔の子どもの遊びのいろいろ

大正、昭和の子どもたちの遊びを集めてみました。私も昭和生まれなので、これで遊んでいました。当時は、ゲームなどはありませんでしたからね。あとは、ヤツデの実鉄砲、メンコ、ビー玉、ホンチ、防火用水でカエルのレースなどですかね。 […]

続きを読む