▶瀬戸神社の力石と力持ち

瀬戸神社のかやの木の根本に、直径40センチ、長さ1メートルくらいの大きな石が飾ってあります。その石は、室の木の長谷川福太郎という人が琵琶島弁天から運んできたものであるという言い伝えを、親戚の古老から聞いていました。長い間、長谷川福太郎という人は、怪力の持ち主であったと思っていました。しかし、瀬戸神社のホームページにこのような記述を見つけました。

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瀬戸神社の境内には大きな「榧(かや)の木」があります。樹齢一千年にも達しようかといふ古木で、御神木としてシメ縄が廻らされてゐます。また天然記念物として市の文化財にも指定されてゐます。

ところで、この榧の木の根元近くに、一抱へ以上もある大きな石がふたつ置かれてゐるのをご存じですか。大きい方の石にはよくみると文字が彫られてゐます。摩耗して読み難くなつてゐますが、上の方に、横書きで「奉納」の文字があり、中央部には縦書きで以下のやうな文字が確認できます。

江戸鬼熊
八拾五貫目
長谷川福太郎

この外にも人名がいくつか彫られてゐるやうですが、明瞭ではありません。この石は、「力石(ちからいし)」と言ひます。江戸の鬼熊といふのは、江戸相撲の力士の四股名で、その力自慢の力士が、この石を持ち上げたといふことで、その力を称へて石に名前を刻むとともに、おそらく鬼熊のタニマチであった長谷川福太郎さんたちが、御神前に奉納したものと思はれます。

小さい方の石には、文字などは刻まれてはをりませんが、年輩の方々のお話では、戦前は兵隊検査の年齢を迎へた瀬戸町内の男達が、この石を持ち上げて力自慢をみせる慣習があつたといふことです。小さい方の石を持ち上げる者は多くゐたが、さすがに大い方の石は持ち上げる者はほとんどゐなかったとのことです。
【瀬戸神社ホームページ】
https://www.setojinja.or.jp/kouza03.html
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どうやら、鬼熊というのは力士で、長谷川福太郎という人は、そのタニマチ(スポンサー)であったらしいです。この鬼熊という力士は、有名な力持ちで、鬼熊が持ち上げたと言われる力石が日本全国の神社に奉納されているようです。力士と言っても相撲取りでなく、重いものを運搬する人たちのことで、相撲取りに真似て力士と呼んでいたそうです。ほかに、香具師(やし)の手配による見世物興行として小屋掛けし、 木戸銭を徴収する職業化した集団もいた、と書いてありました。神社の境内で人を集めて、どれだけ大きな石を持ち上げることができるかを競っていたようです。庶民は、それを娯楽にしていたようです。

その文献の中にこんな記述がありました。

瀬戸神社 (横浜市金沢区瀬戸) 〈1個〉 写真14 「奉納 八拾五貫目 江戸 鬼熊 長谷川福太郎 二十七年 持之 三分村室記」104× 42× 37cm
【鬼熊の力石(四日市大学 論集 第20巻 第1号)】
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/wp-content/uploads/2020/07/力石20_KJ00005175724.pdf

最後の”三分村室記”は、”三分村室の木”ではないかと思われます。言い伝えは、間違っていましたが、長谷川福太郎という人が室の木の人だとすると、実在の人物であった可能性が出てきました。

85貫目を今の重さの単位に直しますと、約320キロgになります(一貫目は3.75キロg)。今の重量挙げの世界記録は、300キロgに到達していませんで大変な力持ちであったことが分かります。このような力自慢は、今でも無形民俗文化財として残っています。門前仲町の富岡八幡宮にも立派な力石がたくさん残っています。
【深川の力持ち】
https://koto-kanko.jp/guide/about_fukagawa/
【富岡八幡宮の力石】
https://yutaka901k.choitoippuku.com/page07ax01c.html

世界でも、力自慢コンテストが行われており人気を博しています。鬼熊が生きていいて、この大会の出場したら、優勝間違いなしだったのでしょうね。
【ワールドストロンゲストマン】
https://www.gizmodo.jp/2014/04/post_14329.html

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