▶防府市の大道をご存知ですか?

大道という地名は、日本各地にあります。山口県の防府市にも、昔から大道と呼ばれているところがあることを防府市のWebサイトで知ることができました。そこで、防府市の大道との共通点についてまとめました。(総務部 廣瀬)

■ 防府市とは
みなさんは、防府(ほうふ)市をご存知でしょうか?山口県のほぼ中央に位置し、南を瀬戸内海に面する歴史あふれる町です。平安時代に菅原道真公が京都から大宰府に左遷される途中で、防府の地に立ち寄ったと伝えられています。菅原道真公の没後に現在の防府天満宮が作られたそうです。菅原道真公の太宰府左遷のお話⇒【菅原道真公の飛梅伝説】

防府市は、俳人の種田山頭火さん、作家の伊集院静さん、NHKアナウンサーの山根基世さんなどの有名人を輩出しています。防府市のすばらしいビデオがYOUTUBEにありましたのでご紹介します。

 2つの大道の共通点
この防府市に大道という地名があります。横浜市と防府市は、900Kmも離れていますが、同じ大道で共通点が多いのには驚きました。海と山に囲まれた立地条件という共通性もありますが、古くは長州藩第7代藩主、毛利重就(しげなり)によって作られた塩田があり、製塩業で栄えていたそうです。横浜市の大道も鎌倉幕府に供給する塩を作っていました。また、近くには源頼朝が建立した「瀬戸神社」がありますが、防府市にも日本で最初に創建された天神さまの「防府天満宮」があります。市立の「大道小学校」「大道中学校」もあります。

子どもの頃から慣れ親しんだ大道という地名には親近感があります。大道を愛し、名前を守り、郷土に誇りを持って、たくさんの人たちが長い間生活をしてきたのかと思うとロマンを感じます。防府市のYOUTUBEを観ていましたら防府市の大道にも行きたくなりました。コロナ禍が過ぎ去ったら足を運んでみたいと思います。みなさんも、遠い瀬戸内海の大道に思いを馳せ、機会がありましたら訪れてみたらいかがでしょうか。

防府市大道公民館の星尾亮治さんに防府市の「大道」の地名の由来を教えていただきましたのでご紹介します。
■ 防府市の大道の地名の由来
防府市の大道地域には、元々明治初期に、「台道村」と「切畑村」という2つの村が存在しており、この2つが1889(明治22)年に合併して、「大道村」となりました。「台道」という地名は、台が原というところに豊臣秀吉が朝鮮出兵の時、仮屋を設け「台(うてな)の道」と書き、「台道」となったといわれていますが、“古い道を改めて大きい道を開いた”ことから、初めは「大道」という字を使用し、後に台の字に変わったという説もあります。

先述の合併で村の名前を決める際には、①「台道村」と「切畑村」を比較して、より大きい村であった「台道村」を村の名前とすること、②先述したような経緯により、台道は昔「大道」の字を使ったことがあるという理由により、住民の希望で、漢字は「大道」とすることが決まりました。

なお、昭和30年に大道村は防府市と合併し、大道村は防府市となりましたが、この大道地域の小中学校はそれぞれ「大道小学校」「大道中学校」として現在も多くの生徒が通っていますし、自治会名や公民館名としても使用されており、現在も多く「大道」を目にすることが出来ます。
<参考文献>
おもしろ再発見 郷土読本 ふるさと大道 (編集/発行:ふるさと大道を掘り起こす会)
https://www.city.hofu.yamaguchi.jp/site/daido-kom/daidoukom-rekisi.html

横浜市の大道には、こんな話が伝わっています。
 横浜市の大道の地名の由来
かつて金沢は三分村と呼ばれていて、社家分、平分、寺分から成り、社家分は瀬戸神社の所領で、瀬戸から瀬が崎にかけての地域、平分は川・三艘から室の木までです。大道は寺分に属しており、足利持氏の祈願所である大道山常福寺の所領でした。

1241(仁治2)年に朝夷奈切通しが完成した時に、大きな広い道に整備され、二間幅(3.6メートル)で当時としてはかなり広い道でした。このことから地名が「大道」になったと言われています。また、江戸時代の金沢八景の絵図では大道村近くに大きな橋が描かれていますが、これは現在の大道橋(別称:大橋道)と思われますが、大きい橋のかかる道ということで大道という説もあります。

大道に関所があったことは余り知られていませんが、荒廃する金沢文庫称名寺の再建修理費を捻出するため、三年間に限りに関所が設けられ、人は二分、馬は三文の通行料を徴収したそうです。一文は今の貨幣価値に換算すると20円位です。人別(戸籍)を調べるということは行わなかったそうです。昭和初期まで関所跡が残っていたそうです。

約600年の歴史がある製塩業は、明治初年までは盛んで、上行寺前まで砂浜で多くの塩場があり、人々の生活に欠かすことの出来ない塩の生産地でした。また、侍従川の清流と豊富な水に恵まれ、良質の美味しい米が採れました。その清流が運ぶ砂鉄で刀が作れることから刀鍛冶が住みつき、横浜市金沢区各地で鎌倉武士の鎧・武具などの生産が行われていました。現在は、高舟台という地名になっていますが、地元では、高宗某という刀鍛冶が住んでいたことから、その字名に由来して「高宗」と呼んでいました。(「たかぶね」とも発音していたため高舟という漢字をあてたのではないかと推測されます)
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2020/05/27/rekishi/

■ 大道の歩み方
ネットを調べましたら、秋田から沖縄まで、大道という地名がたくさんあることが分かりました。私より前に、大道に興味を持って調べた人がいたんですね。防府市や横浜市の大道も掲載されていました。https://ja.wikipedia.org/wiki/大道

葛飾区立大道中学校出身の大道健二さんという力士や、大道典良さん、大道温貴さん(いづれも、おおみち)というプロ野球の選手もいることが分かりました。近くの、御用邸のある葉山には、葉山大道(おおみち)という地名があります。大道ワールドは広がります。

老子「大道廃(すた)れて仁義あり」という一文があります。”それぞれの人々が正しい道を歩んでいれば、ことさら正義や仁義を振りかざす必要はない”、という意味です。大道には、このような意味もあるのですね。これからも、しっかり大道を歩いて行きたいと思います。

▶防府市の大道をご存知ですか?” に対して3件のコメントがあります。

  1. 小川浩三 より:

    山口県防府市の「大道」在住の小川浩三と申します。67歳です。
    この地区の社会福祉協議会会長やまちづくり推進協議会の副会長です。
    今回たまたまネットで大道町内会HPに気づき内容を拝見させていただきました。
    人口・世帯数や小・中学校名に共通点があり、またお互い古くから「だいどう」と名乗っていることに感激しました。
    2021年に地元の公民館職員の星尾さん(2023年3月転出)から地名の由来について教えていただいたとのこと。そちらの地名の由来を読まさせていただきましたが、とても興味深いです。
    今後、時折、情報交換し合えるといいですね。

    1. 廣瀬隆夫 より:

      コメントありがとうございました。記事を書かせていただきました廣瀬と申します。68歳です。ほとんど同じ世代ですね。生まれたときから大道に住んでいますので、大道という地名に思い入れがあります。山口県防府市の「大道」のことを知り嬉しくなって記事にまとめました。また、その記事を読まれてコメントをいただいたことに感激しております。インターネットがなかったら900Kmも離れた大道の小川さんと知り合うことは決してなかったと思います。私たちは、すばらしい世界に住んでいるのだと感じました。これをご縁にお付き合いいただけたら幸いです。私も、もう少しで古希ですが、節目の年は気をつけた方が良いと言われていますのでご自愛ください。それでは、また。

  2. 小川浩三 より:

     こんばんは。ご返信に気づいたのがこの日の夜となり、失礼しました。お互い同世代というのもご縁ですね。私は、もともと防府市の西の宇部市の生まれで、結婚後、妻の里である大道に住んで30年ほどになります。定年後、世話になったこの地に役立つ取組ができればと思い、福祉事業やまちづくりに微力ながら力を入れているところです。昭和の後半から「福祉のまち、文教のまち 大道」と言われるほど、この地に妙蓮寺保育園、防府市立大道小学校・大道中学校、山口県立防府西高等学校、高川学園中学校・高等学校、山口短期大学の保育・教育施設があり、防府リハビリテーション病院やあかり園など福祉・医療施設も整っている所です。でも、少子高齢化や空き家・休耕田の増加などの課題はこの大道でもあります。
     住民の職種の割合に大きな違いがあるかも知れませんが、同じ大道という名のコミュニティーとして、そちらの取組を参考にさせていただけたらと思いますので、よろしくお願いします。

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