▶上行寺とカヤの木と吉田兼好
日蓮宗のお寺で、創建は1254(建長6年)です。開山は日祐上人、開基は日荷上人(荒井妙法)。以前は、真言宗の金勝寺と言いましたが、日蓮宗に改宗し上行寺と改名しました。(2021年2月11日)
上行寺が日蓮宗に改宗した船中問答の逸話が残っています。下総若宮の領主であった富木播磨守五郎胤継(1216年-1299年)が鎌倉への途次、たまたま日蓮上人と同船しました。旅の僧に「近頃、安房の国に日蓮という僧がいると聞くが、御坊はご存知か」と尋ねると、「私が日蓮です」と名乗ったことから、胤継と日蓮上人は、六浦の津に到着するまで法論を戦わせることになりました。議論が尽きず、とうとう胤継の祈願所であった六浦の真言宗の金勝寺(後の上行寺)に逗留し問答を続け、この法論ですっかり日蓮上人に帰依して金勝寺も日蓮宗に改宗しました。
上行寺には、樹齢700年のカヤの古木が現在も見事に枝を伸ばしています。このカヤの木は、日荷上人が称名寺の住職と囲碁に勝って手に入れた仁王尊を三日三晩背負って身延山へ運んで納めた帰りに、カヤの苗を3本持ち帰った中の1本と言われています。残りの2本は、荒井妙法の自宅と杉田の妙法寺に植えられたそうです。妙法の自宅のカヤは枯れてしまいましたが、杉田の妙法寺のカヤは今でも元気に育っています。
【日荷上人のお話】
https://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/shokai/rekishi/ikizuku/mirai/words.files/0006_20181106.pdf
また、上行寺の裏山に吉田兼好が住んでいたという逸話も残っています。吉田兼好の兄の兼雄が北条二代顕時、三代貞顕の執事として仕え、千葉泰胤の娘で北条二代顕時夫人の発願にて建立された嶺松寺が上行寺の近くの殿谷戸にあったことから、吉田兼好の旧居跡が上行寺の裏山の一画にあったと云われています。吉田兼好は、称名寺や金沢文庫にも何度か訪れており、古文書も多く残っています。
【金沢八景に住んでいた吉田兼好】
https://kiongaoka.sakura.ne.jp/blog/2017/08/11/kenko-2/