▶「お国のため」に出ていった鐘の里帰り物語

太平洋戦争も末期に差しかかったころ、大砲や戦艦を造るため、国内では大量の金属が必要とされていました。そこで政府は、お寺のつり鐘や家庭で大切に保管されていた日本刀などを「供出」という名のもとに接収していきました。

福島県石城郡小川町の常慶寺にあった一つの鐘も、その時代のうねりに飲まれた鐘のひとつでした。鐘が奉納されたのは大正九年。信徒の柳内元蔵さんが、先祖の供養のために心を込めてお寺に寄進したものでした。しかし、昭和十八年、その鐘は町内の金属類とともに「お国のために」と送り出されていったのです。

ところが、戦争が終わり時が流れたある日、不思議な巡り合わせでこの鐘は神奈川県横浜市の六浦・西大道の火の見やぐらに取り付けられていたことが判明しました。地域の防災に活躍していたその鐘も、やがて火の見やぐらが改修され、サイレンへと役割が引き継がれると、鐘は再び静かにその務めを終えました。

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