▶「お国のため」に出ていった鐘の里帰り物語

太平洋戦争も末期に差しかかったころ、大砲や戦艦を造るため、国内では大量の金属が必要とされていました。そこで政府は、お寺のつり鐘や家庭で大切に保管されていた日本刀などを「供出」という名のもとに接収していきました。
福島県石城郡小川町の常慶寺にあった一つの鐘も、その時代のうねりに飲まれた鐘のひとつでした。鐘が奉納されたのは大正九年。信徒の柳内元蔵さんが、先祖の供養のために心を込めてお寺に寄進したものでした。しかし、昭和十八年、その鐘は町内の金属類とともに「お国のために」と送り出されていったのです。
ところが、戦争が終わり時が流れたある日、不思議な巡り合わせでこの鐘は神奈川県横浜市の六浦・西大道の火の見やぐらに取り付けられていたことが判明しました。地域の防災に活躍していたその鐘も、やがて火の見やぐらが改修され、サイレンへと役割が引き継がれると、鐘は再び静かにその務めを終えました。
その後、この鐘を元の場所へ戻そうという思いが人々を動かしました。当時の西大道町内会の役員の方が中心となり、インターネットも何もない時代に、常慶寺の住所を突き止め、鐘は無事に常慶寺に“里帰り”を果たしたのです。
ホームページがきっかけで、柳内元蔵さんの玄孫(やしゃご)にあたる柳内元樹さんからお話をお伺いしました。昭和36年の記事の写真で鐘を受け取っているのは、元樹さんの祖父の柳内一良さんです。
300Km以上離れた大道と福島の小川町という場所でこのような暖かい交流があったかと思うと心が洗われる気がします。世代を越えて語り継がれる、戦争と平和、そして人々の絆を感じさせてくれる貴重な一篇。ここにご紹介させていただきます。
柳内元樹さんに新聞記事の提供もしていただきました。ありがとうございました。(廣瀬)
▶常慶寺(福島県いわき市小川町上小川)
https://kankou-iwaki.or.jp/spot/10156




