▶800年以上も続く富岡八幡宮
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は約800年前、1191(建久)2年に源頼朝が摂津の西宮の恵比寿様をお祀りしたのが始まりと言われています。1311(応長元)年の大津波の時に、村の人々を守った事から「波除八幡(なみよけはちまん)」とも呼ばれています。(20240102 廣瀬)
(出典;https://www.tomioka80000goo.org/)
近くの金沢八景は有名ですが、富岡も海岸線が美しい場所でした。富岡八幡宮の先には、鳥のくちばしのように延びた堤防状の砂の堆積(砂嘴・さし)が突き出ていて2キロほども松並木が続いていたようです。この大津波で、そこにあった長浜千軒といわれた漁村が海の底に沈み松並木も海没したという言い伝えがあります。波除八幡のおかげで、この津波では一人も犠牲者が出なかったそうです。金沢区の並木という地名は、その名残と言われています。
また、小柴の地名も、この大津波に由来しているという言い伝えがあります。大きな木があり、柴の字が此と木からできていることから、流された人たちが大津波の時に松明を持って、この木の下に集まった場所と言われています。
(出典;https://yokohama-kanazawakanko.com/spot/institution/tera/tera004/)
これらの逸話の真偽の程は分かりませんが、大きな津波があったことは確かなようです。
富岡八幡宮というと深川の富岡八幡宮が有名ですが、この金沢の富岡八幡宮が本家です。江戸に幕府を開く前は、深川は、砂州でアシが生い茂るゼロメートル地帯でした。そのため津波や高潮の被害に度々遭っていました。深川洲崎一帯に襲来した高潮によって付近の家屋がことごとく流されて多数の死者や行方不明者が出たのですが、犠牲者の慰霊にために1791(寛政3)年に建立された「波除碑」が江東区の洲崎神社に残っています。
(出典:https://tesshow.jp/koto/shrine_kiba_suzaki.html)
このような水害から村人を守るために、1627(寛永4)年に金沢の富岡八幡宮の波除八幡にあやかるように御分霊されて建立されたのが深川の富岡八幡宮です。徳川家康は、鎌倉の歴史書「吾妻鑑」を愛読していたと言われていますので、応長の大津波で人々を救ったことを知っていたのでしょうね。金沢は、徳川家康と関係の深い場所でもあります。
深川の富岡八幡宮は、江戸勧進相撲の発祥地として有名ですが、金沢の富岡八幡宮でも古くから奉納相撲が行われていました。金沢の富岡八幡宮には「祇園舟」「湯立神楽」など鎌倉時代から800年以上も継承されている特殊神事が伝えられています。緑に囲まれた静かな神社です。金沢文庫の近くに来られたときは、ぜひ、足を運んでみてください。