▶六浦藩「米倉家愛犬の塚」
金沢八景に陣屋を置いた横浜市唯一の大名である米倉丹後守のエピソードをお話します。(廣瀬)
■ 米倉氏と金沢藩
米倉家は、もとは武田信玄の家臣でしたが、武田氏滅亡後、米倉家は1582(天正10)年に徳川家康に仕えました。七代目の米倉昌尹(まさただ)は、徳川綱吉に功績を認められ1696(元禄9)年1万石を与えられて異例の大出世を遂げました。その後、旗本から大名となり、金沢藩の藩主となりました。加賀の金沢藩と紛らわしいと言うことから後に六浦藩と改名しました。
■ 中野の犬屋敷
徳川綱吉に認められた功績というのは、中野に作られた犬屋敷の建設でした。江戸の犬屋敷は、中野、大久保、四谷に作られましたが、その中でも中野は東京ドームの10個分以上の16万坪という広大な敷地に作られた犬屋敷で江戸中の町から集められた犬を10万匹以上収容していました。中野の犬屋敷は1695(元禄8)年から建設が始まり1699(元禄12)年には290棟の犬小屋が建てられたそうです。ここの犬小屋に大道の竹が使われたそうです。犬屋敷が設けられた理由は、「生類憐れみの令」の施行で江戸の町中に犬が増えすぎたために発生した問題を解決するためと言われています。中野駅の周りはほとんど犬屋敷だったことが分かります。
■ 米倉家愛犬の塚
金沢八景駅の裏に米倉家の墓地があります。立派な藩主の墓石の傍らに「米倉家愛犬の塚」という石碑があります。犬のために、ずいぶん立派なお墓を作ったものだとずっと不思議に思っていました。この石碑には1914(大正3)年建立と彫ってありました。
米倉家の歴史を調べるにつけ米倉昌尹の時代から、先祖代々、犬を家族のように大切に扱っていたのではないかと思うようになりました。今は、ペットブームで、江戸時代の何倍もの犬が飼われていますが、日本には昔から動物を大事に扱ってきた習慣があったのだと思います。
徳川綱吉の「生類憐みの令」は、愚策と言われていますが、捨て子や病人、高齢者、動物(犬、猫、鳥、魚類、貝類、昆虫類)という弱いものを大切にすることを目的としたもので、日本人のアイデンティティを形成する上で重要な役割を果たしたのではないでしょうか。令和の時代にもう一度評価しても良いのではないかと思います。
【参考】
https://ja.wikipedia.org/wiki/犬小屋_(江戸幕府)
https://ja.wikipedia.org/wiki/米倉昌尹
https://ja.wikipedia.org/wiki/六浦藩
https://ja.wikipedia.org/wiki/生類憐れみの令
https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/attractions/park/180296/
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/102500/d020157.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/okakoi.htm