▶大道のお祭り「天王祭」

今年は、新型コロナウイルス蔓延防止のために、残念ながらお祭りは中止になりました。大道集会所にお神輿を展示します。

・屋台: 7月11日(日)10時〜14時 屋台小屋の前に展示(宝樹院の階段を降りたところです)
・神輿: 7月10日(土)、7月11日(日)10時〜14時 大道集会所に展示
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お祭りに関する話題を集めてみました。天王祭は無病息災、五穀豊穣を祈るお祭りとして数百年前から行われています。昔の天王祭は、大規模に行われていたようです。瀬戸神社の資料を元に昔のお祭りの雰囲気をご紹介します。(廣瀬)

現在では7月7日から14日に近い日曜日を選んで執行していますが、かつては、7月7日から7月14日の7日間にわたって行われていました。この祭りは、本来、氏子の惣百姓(そうびゃくしょう)を中心とする民間行事としての夏祭りでした。六浦町の中で、瀬戸、六浦、川、大道、三艘の五ケ町を中心として行われたもので、祭りの触れ元は川の村役があたっていました。この5ケ町と別に瀬ケ崎、 室の木の2ケ町においても同じ祭りが行われていました。

7月14日は、祭りの最終行事の還御祭(かんぎょさい)。神輿は、六浦の御仮屋(おかりや)を御発輿(ごはつよ)になり、瀬戸、六浦の山車の先導で、川、大道、三艘各区の山車を次々に随行して5ケ町を一巡し、延々数百メートルに及ぶお囃子(はやし)を競い、夜に入っては提灯を連ねて本社に帰りました。 各区の氏子からは地元で取れた胡瓜(きゅうり)などのお供物が奉献され、深夜に至って 神霊を本社に奉遷し、七つ締めの手打式を行って散会となりました。(出典 瀬戸神社 佐野大和著 昭和43年発行)
今年(2021年)の還御祭は、7月11日の15時から執行されます。

■ 山王神社
大道の氏神様の山王神社は、高宗の谷戸の左側の階段を上ったところにあります。今は眼下は家で埋め尽くされていますが、大道から朝比奈にかけて広がる大道耕地と呼ばれていた一面の田んぼを眺めることができました。

山王神社は猿田彦命(さるたひこのみこと)を祭神として勧請(かんじょう)しています。社殿は間口一間五尺・奥行一間三尺、境内は、約四十坪の小さな神社ですが、社殿には龍や獅子の彫刻があります。1432(永享4)年に大道に関所が設けられ、その後、三分村大道(寺分)の住人32軒の氏神様として、地元民から山王様と呼ばれ稚児の初宮参り、七五三のお祝、十月初旬の鎮守祭りなど、多くの村人が参拝し信仰しました。毎年、7月に天王祭が執り行われます。

■ 大道の屋台とお神輿と獅子頭
大道には昔から伝わる屋台(山車)やお神輿、獅子頭があります。屋台には獅子や鳳凰の彫刻が施されています。「南総の彫工 初代 後藤義光」という書籍に、「安房の三名工」と並び称される後藤利兵衛橘義光という彫師が「金沢の大道屋台」を彫ったと書かれています。浦賀の西叶神社に彫ってある獅子や金沢小学校の近くの洲崎神社の獅子頭も同じ作者ということです。

後藤利兵衛は1815(文化12)年、安房(あわ)国朝夷(あさい)郡北朝夷村(現在の千葉県千倉町北朝夷)の生まれで、1902(明治35)年に88歳で亡くなりました。千葉や横須賀、金沢に多くの作品を残しています。

左上の獅子頭は、お祭りの時に建てた「のぼり」の支柱に飾っていたものだと言われています。

■ 昔のお祭りの写真
1957(昭和32)年7月14日のお祭りの写真と1922(大正11)年の大道の屋台の写真(下)です。この屋台の写真は、瀬戸、六浦、川、大道、三艘のものが残されています。延々と続くお祭りの行列を見ると、地域の一大行事であったことが分かります。お祭りの写真は、大道町内会の鈴木巽さんにご提供していただきました。

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