▶高栄山 高照寺 宝樹院
真言宗御室派の寺院です。当初は高照寺というお寺で三艘にありましたが火災に遭い、1650(慶安3)年に大道に移転しました。宝樹院が移転する前の室町時代に、この場所に称名寺末寺の常福寺(1147年開山、内蔵武直(くらのたけなお)が建立)という寺がありました。内蔵武直の妻は卜部(うらべ)氏であり、吉田兼好の縁者です。本尊は大日如来で、本堂の横には阿弥陀堂があり、常福寺から受けついだ阿弥陀三尊像が祀られています。
行基作といわれる阿弥陀三尊像は弘安五年(1182年)北条実時追善供養に称名寺本尊と並べ置かれた記録があり、丸みを帯びた強い肩や痩せ気味の体つき等、平安末期の造像の特色があり、平成四年(1992年)この阿弥陀三尊像が県の重要文化財に指定されました。同年、東京世田谷の明古堂での修理の際、三体仏像内に貴重な納入品17品(文書・舎利)が発見されました。現在、阿弥陀三尊像は宝珠院の阿弥陀堂に安置されていますが、納入品は金沢文庫に収蔵されています。
https://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/399_3.html
https://www.townnews.co.jp/0110/2013/11/28/214388.html
応永二十九年(1422年)鎌倉公方の足利持氏の許可を得て関東管領だった上杉憲実(家老長尾忠政)の指図により、宝樹院の近くの環状4号線の今のエールハウスがあるところに大道関所を設け、称名寺の修繕費用を捻出したという記録が残っています。
このお寺は小泉純一郎さんの菩提寺として有名です。本堂には、祖父さんの小泉又次郎さんの肖像写真や書も飾られてます。お寺の墓地からは大道が一望できます。白黒の写真は、昭和6年の御大典記念稚児行列です。(廣瀬)
宝樹院の墓地からの眺めです。大道が一望できます。今、家が立っているところは、昭和のはじめの頃はほとんどが田んぼであったことは想像できません。
宝樹院が三艘のどこにあったかは分かっていません。三艘に古くからお住まいの方にお聞きしましたら、六浦南の上総屋とうふ店のある谷戸の奥にあったということを教えていただきました。行ってみましたが、今は空き地になっていて何もありませんでした。300年以上も前の話ですので定かなことは分かりません。
宝樹院について良くまとまったHPがありましたのでご紹介します。
【宝樹院紀行】
http://photograph.pro/jp/kamakura/kanesawa/hojuin.html