▶大道の名宝、阿弥陀三尊像

この阿弥陀三尊像は大道山常福寺の本尊として作られたものです。丸みを帯びた強い肩や痩せ気味の体つき等、平安末期の造像の特色があります。称名寺の末寺であった常福寺は称名寺の荒廃と共に寂れていき廃寺となり、阿弥陀三尊像は、明治34年に現在の宝樹院の阿弥陀堂に移されました。

この仏像は、藤原時代に盛んになったいわゆる「定朝(じょうちょう)様式」と呼ばれる仏師定朝が完成させた穏やかで円満な表情の仏像に似せた形式を受け継ぐ藤末鎌初(とうまつけんしょ12世紀後半)の造立と推定され、1992(平成4)年に、神奈川県の重要文化財に指定されました。1991(平成3)年に、専門の仏師により解体修理が行われた時に、三体の仏像の体内に貴重な納入品17品(文書・舎利)が発見されています。

この文書で常福寺が鎌倉時代以前の平安時代から存続していたことが明らかになりました。常福寺は、内蔵武直(くらのたけなお)とその妻の卜部(うらべ)氏・源氏を発起人として10人の僧により1147(久安3)年に、阿弥陀堂が建立されたことが分かりました。卜部氏は、徒然草で有名な吉田兼好と縁戚関係にある家柄です。10人の僧が発起人になるというのはあまり類を見ないそうです。

なんと850年も前から鎌倉の外港として六浦の歴史が始まっていて、大道は、鎌倉幕府の開府よりもずっと前の平安時代から人の営みがあったというのは驚きです。この長い間、阿弥陀三尊像は、大道の人たちを見守ってくれていたんですね。これからも大道の宝として大事に守っていきたいと思います。(廣瀬)

【参考】
図説かなざわの歴史 金沢区制五十周年記念事業実行委員会編集 神奈川新聞社出版局制作 2001年

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