▶常福寺の跡
宝樹院ができる前は、大道には、大道山常福寺というお寺がありました。金沢札所第十五番の大きなお寺だったようです。常福寺は宝樹院の石段を下りたところの南側崖下にあり、文永8年(1271)に称名寺の末寺となりました。金沢文庫文書の中に称名寺の修理に充てるため、常福寺の門前に関所を設け通行料を徴収したという記録があります。人が二文、荷駄は三文という通行料だったようです。一文は今の貨幣価値に換算すると30円くらいです。常福寺の本尊阿弥陀三尊像は明治34年に宝樹院阿弥陀堂に移されました。鎌倉幕府の滅亡で、称名寺は後援者を失い、末寺の常福寺も荒廃して、以後その管理は宝樹院にまかせるようになったようです。常福寺の跡には、当時の住職のお墓が残っています。享保、元文、寛保の元号が刻まれており、今から300年くらい前のものです。(廣瀬)
【参考】
https://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/index.html