▶侍従川にはホタルがいっぱい

私が子ども時代を過ごした今から50年以上も前の大道は、山に囲まれ、侍従川が流れ、海も近くにあって、子どもたちの遊ぶところがたくさんありました。今の大道小学校が建っているところは、昔は田んぼでカエルがたくさん棲んでいました。 夏になると、セミがたくさんいて、うるさいぐらい鳴いていました。(大道町内会 元・会長 小泉 隆良)

朝寝坊していると友だちにセミとり用のクモの巣を取られてしまうので、誰よりも早く起きて取りに行きました。竹の先に針金で丸くしたものを縛って、その輪のところにクモの巣を巻きつけて、それでセミを取るのです。クモの巣は、べとべとしているので一度かかるとセミは逃げられません。 夏休みは、みんなで勉強すると言って家を出るのですが、すぐに遊びたくなって野島や乙艫海岸に海水浴に行ってしまうことが良くありました。一日中遊んで、親には勉強は終わったと言って家に戻るのです。

その頃の遊びは、ベイごま、ビー玉、めんこ、缶けり、騎馬戦、さし網、パチンコなどでした。ベイごまは、学校では禁止されていましたが、人気のある遊びでした。パチンコは二股になった木にゴムを取り付けて作ります。チームに別れて戦争ごっこをやるのです。私は、小学4年の頃、パチンコで左目の上を負傷して失明寸前になってしまいました。かなり危ない遊びをやっていたんですね。さし網というのは、地面に穴を3つか4つ掘って、そこに遠くからボールを転がして穴に入れて点数を競うというものです。ボールが逃げないように網を張ったことから、さし網と呼んでいたのだと思います。

侍従川ではウナギやハゼなど、色々な魚を獲りました。”かいぼり”と言って川のそばを掘って水がたまる場所を作ると、そこに魚が入ります。その中にカーバイトを放り込んで火をつけると魚が苦しがって水面にあがって来るので、それを捕まえるのです。当時の侍従川には、ホタルが沢山いました。夜、ホタルを捕りに行くのですが注意が必要でした。ホタルの光の中にヘビの目玉が混じっているからです。下手に手を出すとヘビに指を噛まれるので木の棒で確かめながらホタルを捕った覚えがあります。

冬になると、集会所の近くで凧上げをやって半日過ごしました。その頃は、集会所の回りは一面の田んぼで凧上げをするには格好の場所でした。大道小学校の今のトンボ池のあるところの裏側あたりに、大きな栗の木がありました。それに登って栗を取っていると、栗の木の持ち主のおじさんが出て来て下で見張っているのです。見つかると怒られるので、3時間もトイレを我慢して木の上にいた苦い経験もあります。家にいると、外で遊んでこい、と言われるので家の中で遊ぶことは、ありませんでした。外でめいっぱい遊んで、家に帰るのはいつも夕刻でした。こんな調子で、あまり勉強はしないで就職するまで、毎日楽しく過ごしました。まわりの友だちも同じように遊びまわっていました。

3歳の頃ですが、太平洋戦争で米国の戦闘機が飛来したときに、母に背負われて防空豪へ逃げ込みました。その時に、両手に持っていた、おにぎりを落として悔しい思いをしたことを、今でも覚えています。それほど、食料が大切な時代でした。今は、戦争もなく平和で食べ物もたくさんあって、私の子ども時代に比べたらずいぶん良い時代になりました。その分、塾や学校の勉強がたいへんだと思いますが、子どもたちには、自然が豊かな大道で元気に遊んでもらいたいと思います。

この記事は、2010年にインタビューさせていただき文字起こしをしたものです。(廣瀬)

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