▶風化した鼻欠地蔵

環状四号線の大道中学校に入る道の左側に摩崖仏があります。この岩に彫られた風化したお地蔵さんは鼻欠地蔵と言い、相州(鎌倉)と武州(金沢)の境に作られました。双方の土地争いの仲裁役として建立されたのですが、争いがなかなか絶えないのでお地蔵さんが見せしめに、自ら立派な鼻を欠いてしまったと言い伝えられています。

今は、風化してしまって原型をとどめていませんが、江戸名所図会には、優しいお顔のお地蔵さんの絵が残っています。旅人が二人で、お地蔵さんに向かって話をしている様子が描かれています。旅の安全をお願いしているのかもしれません。山から降りてくる人、荷物を背負った農家の人なども描かれています。絵図には鼻缺地蔵(はなかけじぞう)と書いてあります。

前方に流れる川は、侍従川です。鼻欠地蔵の前は、当時は、かなり広かったようです。1944(昭和19)年に相武隧道が開通して大船との交通が利便となり、この辺りの地形は大きく変わりました。昔の人たちは、ここを「地蔵の前」と呼んでいました。(2月14日 廣瀬)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です